結婚式場 京都の特異性と共通点
まず、世間話のつもりで社や不動産会社が、暴力団まで使って地上げをしていたが、そのおこぼれでももらいたがっているのかもしれなかった。
「右翼はお小遣いがほしくて、せびりにきたのですかね」「いや、いまはそんなに甘くないですよ」根本上席調査役はいった。
それは右翼にかぎらず、すべてにたいするF銀行の厳しいありようを示していた・もっとも、F銀行は、「お小遣い」にしては多過ぎる八三七五万円もの政治資金(八六年度)を出していた。
全国の政治献金企業のなかでもトップだった。
献金企業の上位は都市銀行が占め、業種別でも銀行が一五億円で、やはりトップだった。
二位も不動産建設業界だった。
政治資金もカネ余りとマネーゲームや土地投機を反映し、彼らの政治への投資は、そのまま業界やその企業の収益にはねかえっている。
大銀行である都銀一三行は、八七年三月期決算で過去最高の利益をあげた。
つづく八七年九月中間決算でも、増収、増益で過去最高となった。
根本上席調査役流にいえば、それもこれも「甘くない」厳しい対応で儲けを増やしてきたのだ。
私が取材したいことを伝えると、根本上席調査役は、「担当部門が答えやすいように質問の要項をメモにしていただけませんか」といった。
私はこの翌日の一二月九日付で質問要項を送付した。
質問は、ありふれた七項目を七行にまとめた簡単なもので、つぎのように添え書きを付けた。
〈質問項目にとらわれないで、いま貴行がお考えになり、実施しようとされている点をお聞かせいただきたいと思います。
全体として、「F銀行は、いまこう考えている」「F銀行はこうしようとしている」ということが、金融問題には素人の一般国民にわかるようにお話いただきたいと思います〉F銀行がいいたいこと宣伝したいことがあれば、なんでもいいから、それはそれとして、直接、自分の耳で聞きたかった。
だが、質問要項を送付してから何度か様子をたずねるうちに、根本上席調査役の私にたいする値踏みは変わった。
広報部を訪ねたとき、自分の仕事の見本としてK文庫「日本式経営の場』を届けていたが、彼はそれに目をとおし、私が銀行の収益に結び付かない人間だとみなしたのかも長時間残業で家族は「母子家庭寮」に私は、F銀行の行員とその家族宛の手紙をワープロで打った。
四○○字詰の原稿用紙に換算すると六枚分になった。
手紙としては長いが、コピーで増刷し、一通ずつ封書に入れた。
夜も遅くなっていたが、その日のうちに届けた。
調べてみると、自宅からクルマで三○分ほどの、千葉県船橋市内のJR津田沼駅近くの二カ所に、F銀行の社宅があった。
同行では、世帯用の社宅を「家庭寮」と呼んでいる。
まずはこの二カ所の家庭寮に的をしぼり、合わせて約七○軒のポストに、一軒も残さず手紙を入れた。
回収指令がでると、一通ずつでといった。
一週間後には、「なにしろ年末で担当部門はそれぞれ多忙を極めていますので」といった。
そのあとは、いつも女性の広報部員が電話にでて、「ただいま別の電話で話し中です」とか「外出しています」などというばかりだった。
F銀行の各部門が多忙を極めているのはうそではなく、いつものことだった。
返答を引き延ばされているうちに、年末のどさくさにまぎれこんでしまった。
このまま返答を待っているだけでは、取材計画も自然消滅せざるをえない。
それはいかにも「忙し屋」のF銀行流儀の取材を回避するやり方だった。
ついには大晦日まであと二週間たらずとなった。
いくら遅くても年末年始のうちに取材の決着をつけなければ、原稿は締め切りに間に合わない。
私は、女子広報部員に根本上席調査役への伝言をたのんだ。
「広報を通していたらいつまでたっても取材ができないから、直撃で取材します」こちらも「そんなに甘くない」ことを、はっきり伝えておくべきだと考えたからだ。
おかげで、このF銀行の取材は、年末年始のどさくさがヤマ場となってしまった。
は全滅することも予期し、何軒かには複数の手紙を入れた。
手紙には、自分がフリーのジャーナリストであるという身分と、住所、電話番号なども記した。
まず、〈家庭寮の行員と御家族の皆さん、ぜひ私の取材に御協力をお願いいたします〉と、単刀直入に訴えた。
前章で書いたように、日本のジャーナリズムは、事実上、企業広報の下請け宣伝係をつとめさせられている。
その一方で、ヒモつきでないライターは、企業の取材拒否にあっている。
そうした事実も書いた。
手紙には、自分がヒモ付きでないことを明らかにするため、別項で著書などの仕事の概要をまとめた。
〈自己紹介〉をつけた。
そして、〈会社側のヒモ付きライターではありませんので、取材に御協力いただいた皆さんの氏名などの秘密は、会社側には絶対にもらしません〉と、誓約した。
もちろん、この突然の手紙で、隠されている実態が簡単に明らかになるとは楽観していなかった。
現実は、それこそ「そんなに甘くない」のだ。
手紙を届けてから、八七年一○月発行の最新の電話帳で、二つの家庭寮の住所になっている氏名と電話番号をリストアップした。
船橋市内の電話だけで五九○ページにわたってびっしりとつまっていた。
電話帳でつくったリストをたよりに、家庭寮の家族たちに電話をかけはじめた。
F銀行では、こうした軒並みの「工作」を「ぬりつぶし」などと呼び、拡販と顧客の新規開拓をすすめている。
そんなF銀行が相手であり、「甘くない」ところを示すためにも、それに負けてはいられない。
家庭寮へ戸別に二度か三度、電話を入れると、取材に協力するかしないかにかかわりなく、その行員と家族たちの生活が浮かんできた。
それらが、別の取材で聞いていた個々の事実ともつながっていった。
最新の電話帳を使ったにもかかわらず、すでに転居している行員が少なくなかった。
転居がともなう配転、”出向などが多い証拠だった。
最も目立ったのは、妻や家族が夫の行員からF銀行の職場のことをほとんど知らされていないということだった。
夫の行員の側からいえば、妻や家族に職場のことをいくら話しても、ちょっとやそっとでは理解されない事態になっていた。
また、仕事からやっと解放されてたどりついた家庭なのに、愉快でもない職場の話は持ち込みたくないだろう。
これは入行してまのない、ある独身の男子行員の話だが、彼は学生時代からの恋人との結婚をあきらめた方がよいのではないかと悩みはじめた。
いくら銀行の話をしても、理解してもらえそうにないからだ。
知り合いの職場の先輩は結婚してまもなかったが、その妻がノイローゼになって自殺してしまった。
彼はこんな悲劇を繰り返したくなかった。
家庭寮の妻たちは、「いつも何時に帰ってくるかわからないんです」とか、「その日によってちがいますから」などといった。
つまり会社の都合次第であり、その日、帰宅してみないとわからないのだ。
さらに、「何時ごろの帰宅が一番、多いか」とたずねると、「九時か一○時ごろ」というのとコー時から一二時になってしまいます」というのが最も多く、「一二時を過ぎる」というのも少なくなかった。
二つの家庭寮の行員たちの勤務先は、本店が最も多く、千葉県内の稲毛、船橋などの支店、都内の兜町、向島、室町、蛎殻町などの支店が多い。
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